織田宗家の街造り/甘楽郡小幡・名水百選「雄川堰」

甘楽町(旧小幡藩)は織田宗家(下記*参照)が152年に亘り統治しました。まさに「織田宗家ゆかり」の城下町。町には当時の遺構が数多く、①県内に唯一現存する大名庭園の名勝「楽山園」、②名水百選・世界灌漑施設遺産等認定「雄川堰」、③小幡藩武家屋敷として江戸時代後期に建てられた群馬県指定史跡「松浦氏屋敷」等多くの貴重な歴史・文化的遺産を巡れます。                  *注:織田信長の次男・信雄(ノブカツ)を初代藩主として8代

<補足>寛永6年(1629年)織田信昌によって陣屋が築かれる。 元和元年(1615年)織田信長の次男織田信雄は大和国宇陀郡三万石と上野国甘楽郡二万石の大名となり、大和国松山陣屋を居城とした。元和3年(1617年)信雄の四男信良が上野国甘楽郡二万石を分封され小幡藩を立藩した。当初福島村に設けていたが、寛永6年(1629年)南の小幡村に陣屋が移された。明和4年(1767年)七代織田信邦、山県大弐の明和事件に関係し蟄居を命ぜられた。家督は弟の信浮が継ぎ出羽国高畑二万石で転封となり、代わって上里見より(奥平)松平忠恒が二万石で入封し、以後四代続いて明治に至る。