2023 織田宗家ゆかりの城下町と雄川堰

 小幡の歴史は、元和元年(1615)、徳川幕府から織田信雄(おだのぶかつ・織田信長の次男)へ2万石が与えられ藩政構築に動き始めました。同2年(1616)、織田信良(信長の孫)が下仁田街道(姫街道)福島宿(群馬県甘楽郡甘楽町福島)に陣屋を構え、次いで信昌の代(寛永6年:1629)に小幡へ移し、寛永19年(1642)に藩庁を遷し名実共に小幡藩となっています。「雄川堰」はその時期に用水路としてが整備され始めたようです。『甘楽町史』に「1642年(寛永19年)に小幡陣屋が完成し、その際に雄川堰も改修され、現在見られる形になったと考えられる」と記されています。水源は稲含山から流れる雄川(一級河川)で小幡地区北方の水田地域を潤しています。織田氏から松平氏へと整備・改修され400年近くの歴史があるようです。

陣屋(じんや) :江戸時代、幕藩体制における大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、又は幕府直轄領の代官の住居・役所等が置かれた建物。 ✳︎補足説明:一般に3万石以下で城を持たない大名が陣屋を持ち、旗本領や大藩の家老の所領地で知行所の政庁が置かれた屋敷も陣屋と呼んでいた。